2006年06月30日
2006年06月29日
FOMAの通話エリアについて
今月、ケータイを不意に落とし自ら踏み破損・・・
そしてドコモショップで急遽機種変更。
急いでいたこともあり、店員さんのオススメに任せMOVAからFOMAに迷わず変更。
ところが、3日ほど経ってふと気が付きました。普段ならば会社の事務所で仕事をしているとケータイに電話やメールが日に6~7回あるのに、FOMAに変更後は音沙汰無し。。。
そして新たに購入した携帯電話の画面を見ると!!何と圏外ではありませんか。
試しに事務所から出て確かめるとつながる・・・。不幸にも事務所内のみが圏外に。
MOVAの時は問題なく利用できていた為、考えもせずに機種変更。
そして、本日の日経新聞朝刊で="_blank">">『FOMA アンテナ 増量宣言!!聞かせて!FOMAの電波状況』
との広告に早速アクセスし、僕の悩みをアンケートに載せ送信。
NTTドコモのアンテナご担当者さま、どうぞ私の会社の事務所でFOMAが使えるようになりますようにがんばって頂戴!!
因みにドコモのサイトを見ていたら関連商品で室内補助アンテナFOMA用なる製品を発見。
さてどうするか?買うか?・・・アンテナ増設を待つか?・・・
そしてドコモショップで急遽機種変更。
急いでいたこともあり、店員さんのオススメに任せMOVAからFOMAに迷わず変更。
ところが、3日ほど経ってふと気が付きました。普段ならば会社の事務所で仕事をしているとケータイに電話やメールが日に6~7回あるのに、FOMAに変更後は音沙汰無し。。。
そして新たに購入した携帯電話の画面を見ると!!何と圏外ではありませんか。
試しに事務所から出て確かめるとつながる・・・。不幸にも事務所内のみが圏外に。
MOVAの時は問題なく利用できていた為、考えもせずに機種変更。
そして、本日の日経新聞朝刊で="_blank">">『FOMA アンテナ 増量宣言!!聞かせて!FOMAの電波状況』
との広告に早速アクセスし、僕の悩みをアンケートに載せ送信。
NTTドコモのアンテナご担当者さま、どうぞ私の会社の事務所でFOMAが使えるようになりますようにがんばって頂戴!!
因みにドコモのサイトを見ていたら関連商品で室内補助アンテナFOMA用なる製品を発見。
さてどうするか?買うか?・・・アンテナ増設を待つか?・・・
2006年06月28日
2006年06月28日
2006年06月28日
2006年06月28日
2006年06月28日
2006年06月28日
2006年06月28日
飛騨高山
奥飛騨温泉郷・福地温泉から車で約一時間、飛騨高山に到着。
写真は日本に唯一現存する代官役所 高山陣屋。

古い町並み は国選定重要伝統的建造物群保存地区でもあり、
城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の三すじの町並を合わせて古い町並と呼んでます。出格子のつらなる軒下には用水が流れ、造り酒屋には看板ともいわれる杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり町家の大戸や、老舗ののれんが軒をつらねています。

その他、高山祭りが有名。
日枝神社の春の山王祭(4月14・15日)、桜山八幡宮の秋の八幡祭(10月9・10日)、高山祭はこのふたつの総称で、日本三大美祭のひとつに上げられています。
祭の起源は領国大名金森氏の時代(1585~1692年)、屋台の起こりは1718年頃にさかのぼります。
巧みな動きを披露するからくり人形、仕掛けが施された戻し車など、屋台にも匠の技が生きています。
祭行列は総数1,000人にもおよび、神輿、獅子舞、大太神楽、雅楽、闘鶏楽、裃姿の警固などが民俗芸能を披露しながら祭区域をまわります。夜に入ると各屋台は100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。飛騨人の意気が高まる高山祭。高山の揺るぎない誇りです。
春の高山祭・・4月14日・15日
秋の高山祭・・10月9日・10日

高山祭の起原と変遷
高山盆地を取り囲む山やまの雪がとけて、ところどころに地肌をみせる4月、飛騨路は陽春を迎える。長い冬籠りから開放されて耳をすますと、村の鎮守からまつり太鼓が聞えてくる。青空にそびえている幟も風にはためき、”ひだびと”の喜びを象徴しているようである。中でも4月14、15両日の山王まつり(日枝神社)が最も大きく、氏子だけではなく近郷近在はもちろん、全国から多くの人びとが集まってくる。
酷暑の候を過ぎて秋風が吹きはじめると、”ひだびと”は越冬の準備をしなければならない。それを教えてくれるのは10月9、10両日の八幡まつり(桜山八幡宮)である。山王まつりと同様に遠近の客で賑わい、この春秋の2大まつりを総称して高山まつりという。
高山まつりの起原がいつかということは、はっきりわからない。しかし、飛騨の領国大名であった金森氏が、天正14年(1586)に飛騨に入国して、元禄5年(1692)に転封するまでの間であったことはまちがいない。
すなわち、元禄5年(1692)8月29日、板坂平内より加賀藩士永井織部に宛てた書簡に、「3年1度3月時分山王祭御座候」としるし、「右私家来野崎弥兵衛、40ヶ年以前五、六年飛騨高山に罷在候付、口上覚書如此御座候」とある。
元禄5年より40年以前といえば承応元年(1652)で、将軍は4代家綱、高山城主は4代頼直の時代であった。このころ既に3年に1度ずつ山王祭礼のあったことがわかるが、その他の神社の記事はなく、山王(日枝神社)だけをしるしている。高山城の山つづきに鎮座し、氏子である川原町に住む扶持人によって神輿をかついで高山城に入ったと記録もあり当時の祭は領主の祭であったと思われる。
そのころの村方では湯花祭が毎年行なわれていたから高山の町のいくつかの宮で民衆の祭もあったのであろう。
高山まつりが日本の三大美祭の一つとして喧伝(けんでん)せられるのは、動く陽明門といわれる屋台があるためである。荘厳で華麗、絢爛で豪華、それに幽玄と哀愁がほどよく融合した屋台は、伝統美と工芸美が一如となったものである。
その母体をなすものは、桃山時代の豪華な建築と美術工芸、それに江戸初期の日光大造営に見る新興技術などの響、感化が飛騨の匠(たくみ)の技量によってさらに高められて、一大絵巻物となる屋台芸術がここに花ひらくのである。
それでは屋台はいつごろできたかというと、記録の上では天領となってからの正徳6年(享保元年)山王祭も八幡祭も行列を整えて陣屋の前に行き代官に伺候して氏子に帰り祭を行なっている。この時以後町衆の祭となったのであろう。屋台を曳いた記録はその翌々年享保3年(1718)高山陣屋の地役人、上村木曽右衛門が書いた「高山八幡祭礼行列」があり、それによれば「だし1本、笠鉾七五三、国センヤの2本、屋だい、高砂、猩々、湯ノ花、浮嶋太夫夫婦の4台を曳いている、これは江戸の天下祭といわれた赤坂山王、神田明神祭を模したものである。
その後江戸では亭保6年に屋台は禁止されて屋台は消えたが、高山では笠鉾、だしが消えて屋台のみが残った。以後40~50年後に上方よりカラクリ人形を移入することによって屋台は江戸形の単層から重層となり、その後50~60年を経て文化、文政期(1804~1830)には高山形ともいえる独特の形を作りだした。また、装飾として金具織物類を京都より求めているが、ことにそれが、著しくなるのは天保年間に入ってからである。
また、屋台が美しくなるにつれ、それを保護するため曳きかたが変わり、ことに回転を容易にするため戻し車を付けるという他に例のない方法を考えだした。
高山まつりの屋台は美しい。それはあらゆる形容をもって称えられているが、何故そのようになったか、高山の町衆の経済力が東西の文化を良く吸収していたこと、従って旧形や伝統にとらわれず、新しいものを求めたこと、またそれに答えうる、大工、塗師、彫刻師がいたことであり、他の組の屋台より美しくしようと互いに競いあったからであり、それをなしうる経済力を持っていたことである。春祭12台、秋祭11台が昭和35年6月全国にさきがけて国の重要民俗資料に指定され、次いで昭和54年祭行列、行事が国の無形民俗文化財に指定され、記念切手にも採用された。
文書・写真:「高山祭の屋台」(社団法人 飛騨高山観光協会)より
飛騨高山観光モデルコース
飛騨の味と技
写真は日本に唯一現存する代官役所 高山陣屋。

古い町並み は国選定重要伝統的建造物群保存地区でもあり、
城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の三すじの町並を合わせて古い町並と呼んでます。出格子のつらなる軒下には用水が流れ、造り酒屋には看板ともいわれる杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり町家の大戸や、老舗ののれんが軒をつらねています。

その他、高山祭りが有名。
日枝神社の春の山王祭(4月14・15日)、桜山八幡宮の秋の八幡祭(10月9・10日)、高山祭はこのふたつの総称で、日本三大美祭のひとつに上げられています。
祭の起源は領国大名金森氏の時代(1585~1692年)、屋台の起こりは1718年頃にさかのぼります。
巧みな動きを披露するからくり人形、仕掛けが施された戻し車など、屋台にも匠の技が生きています。
祭行列は総数1,000人にもおよび、神輿、獅子舞、大太神楽、雅楽、闘鶏楽、裃姿の警固などが民俗芸能を披露しながら祭区域をまわります。夜に入ると各屋台は100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。飛騨人の意気が高まる高山祭。高山の揺るぎない誇りです。
春の高山祭・・4月14日・15日
秋の高山祭・・10月9日・10日

高山祭の起原と変遷
高山盆地を取り囲む山やまの雪がとけて、ところどころに地肌をみせる4月、飛騨路は陽春を迎える。長い冬籠りから開放されて耳をすますと、村の鎮守からまつり太鼓が聞えてくる。青空にそびえている幟も風にはためき、”ひだびと”の喜びを象徴しているようである。中でも4月14、15両日の山王まつり(日枝神社)が最も大きく、氏子だけではなく近郷近在はもちろん、全国から多くの人びとが集まってくる。
酷暑の候を過ぎて秋風が吹きはじめると、”ひだびと”は越冬の準備をしなければならない。それを教えてくれるのは10月9、10両日の八幡まつり(桜山八幡宮)である。山王まつりと同様に遠近の客で賑わい、この春秋の2大まつりを総称して高山まつりという。
高山まつりの起原がいつかということは、はっきりわからない。しかし、飛騨の領国大名であった金森氏が、天正14年(1586)に飛騨に入国して、元禄5年(1692)に転封するまでの間であったことはまちがいない。
すなわち、元禄5年(1692)8月29日、板坂平内より加賀藩士永井織部に宛てた書簡に、「3年1度3月時分山王祭御座候」としるし、「右私家来野崎弥兵衛、40ヶ年以前五、六年飛騨高山に罷在候付、口上覚書如此御座候」とある。
元禄5年より40年以前といえば承応元年(1652)で、将軍は4代家綱、高山城主は4代頼直の時代であった。このころ既に3年に1度ずつ山王祭礼のあったことがわかるが、その他の神社の記事はなく、山王(日枝神社)だけをしるしている。高山城の山つづきに鎮座し、氏子である川原町に住む扶持人によって神輿をかついで高山城に入ったと記録もあり当時の祭は領主の祭であったと思われる。
そのころの村方では湯花祭が毎年行なわれていたから高山の町のいくつかの宮で民衆の祭もあったのであろう。
高山まつりが日本の三大美祭の一つとして喧伝(けんでん)せられるのは、動く陽明門といわれる屋台があるためである。荘厳で華麗、絢爛で豪華、それに幽玄と哀愁がほどよく融合した屋台は、伝統美と工芸美が一如となったものである。
その母体をなすものは、桃山時代の豪華な建築と美術工芸、それに江戸初期の日光大造営に見る新興技術などの響、感化が飛騨の匠(たくみ)の技量によってさらに高められて、一大絵巻物となる屋台芸術がここに花ひらくのである。
それでは屋台はいつごろできたかというと、記録の上では天領となってからの正徳6年(享保元年)山王祭も八幡祭も行列を整えて陣屋の前に行き代官に伺候して氏子に帰り祭を行なっている。この時以後町衆の祭となったのであろう。屋台を曳いた記録はその翌々年享保3年(1718)高山陣屋の地役人、上村木曽右衛門が書いた「高山八幡祭礼行列」があり、それによれば「だし1本、笠鉾七五三、国センヤの2本、屋だい、高砂、猩々、湯ノ花、浮嶋太夫夫婦の4台を曳いている、これは江戸の天下祭といわれた赤坂山王、神田明神祭を模したものである。
その後江戸では亭保6年に屋台は禁止されて屋台は消えたが、高山では笠鉾、だしが消えて屋台のみが残った。以後40~50年後に上方よりカラクリ人形を移入することによって屋台は江戸形の単層から重層となり、その後50~60年を経て文化、文政期(1804~1830)には高山形ともいえる独特の形を作りだした。また、装飾として金具織物類を京都より求めているが、ことにそれが、著しくなるのは天保年間に入ってからである。
また、屋台が美しくなるにつれ、それを保護するため曳きかたが変わり、ことに回転を容易にするため戻し車を付けるという他に例のない方法を考えだした。
高山まつりの屋台は美しい。それはあらゆる形容をもって称えられているが、何故そのようになったか、高山の町衆の経済力が東西の文化を良く吸収していたこと、従って旧形や伝統にとらわれず、新しいものを求めたこと、またそれに答えうる、大工、塗師、彫刻師がいたことであり、他の組の屋台より美しくしようと互いに競いあったからであり、それをなしうる経済力を持っていたことである。春祭12台、秋祭11台が昭和35年6月全国にさきがけて国の重要民俗資料に指定され、次いで昭和54年祭行列、行事が国の無形民俗文化財に指定され、記念切手にも採用された。
文書・写真:「高山祭の屋台」(社団法人 飛騨高山観光協会)より
飛騨高山観光モデルコース
飛騨の味と技
2006年06月28日
2006年06月28日
2006年06月27日
2006年06月27日
目的地到着
本日の目的地 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地温泉
山里のいおり 草円 TEL (0578)9-1116
に到着。
全13部屋の川沿いにたつ静かな古民家風の宿です。



木造のクレ葺きの湯小屋で自家源泉掛け流しのお風呂。
脱衣室と洗い場、そして湯船。それぞれが隣り合わせの別室になっているので、身体を洗うときも寒くありません。
この他に、マイナスイオンたっぷりの足湯部屋があります。
2006年06月27日
2006年06月27日
上高地
上高地帝国ホテルに到着。真っ赤な屋根が印象的。
ホテル内レストランのオムライスが美味しそう。


ひっそりと木立の中に佇む赤い三角屋根のホテル。都会にはない静寂と、上高地でしか見ることができない美しい自然に包まれて、確かなおもてなしで心ゆくまでお寛ぎいただけます。
平成17年度の営業期間は、4月27日(水)~11月6日(日)となります。


今朝の芝生
松本市にある浅間温泉に来ました。
白骨温泉に到着。
高山の街並を巡る水路。
飛騨高山の古い街並によく似合う人力車。
板葺きの屋根が特徴的だ。
奥飛騨を出発。
福池温泉観光協会の足湯。足からジワジワ全身が温まります。
うしろに穂高連峰を望む大正湖に着きました。
久しぶりに乗車する路線バスは、とてもなつかしい雰囲気たっぷりの車内。
上高地の入口、沢渡大橋に到着。ここからはバスに乗り換え上高地に向かいます。
長野自動車道 姨捨サービスエリアで休憩。
嬬恋村のキャベツ畑を通過中。
今日は白骨温泉・上高地を経由して奥飛騨温泉に向かいます。